かつて「日本の未来」があった所

「かつて、この島には『日本の未来がある』と言われました。皆さんが今ご覧になっているのはその島の『成れの果て』です。」

 
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7月に世界遺産登録され、一気に知名度が増したであろう、『軍艦島』こと、長崎県端島。明治、大正、昭和にかけて炭坑で栄えた島である。今回長崎へ旅行するにあたってノープランだったわたしに友人が提案してくれて、上陸できるツアーを調べて参加してみた。
軍艦島』の名前の由来は、遠目に見ると島全体が一つの軍艦のように見えるからである。
 
大正時代に作られた日本初の鉄筋コンクリート建てのマンション。それ以外にも、「こんな昔に!こんな頑丈で高い建物があったんだ!」と思わせるビルがいくつも。(単純にわたしが、高い建物なんてない世界で生きてきたから、だいぶ想像で補うしかなかった。)
ボロボロのコンクリートと化した建物や施設は、すべて自然倒壊だと言う。40年前まで人が住んでいただなんてまるで想像もできない。それは、わたしが40年前の世界を知らないからということもあるだろう。
 
学校、病院、社宅、プール、総合事務所、、、一番栄えていた通りには「端島銀座」という愛称までつけられ、ダンスホールを備えた建物もあったという。最盛期の島の人口密度は、その当時世界一の人口密度と言われた東京の九倍だったと言われているらしい。
 
雨風にさらされ、時には台風も来る。また、島であるため当たり前に四方は海で、堤防はあるものの一部は決壊していたり、また、堤防にぶつかった波は、その潮を横向きにではなく縦向きに飛ばすという。船から降りたすぐ脇には、足元まで波が来てしまいそうなところもあった。
 
 
以下は、私がガイドさんから聞いたお話の、断片的な記憶。自分用の覚書だけれど、なぜか、忘れてはいけないような気がして、書き留めておきたくて。お裾分け。
 
「写真を撮るのも結構です、たくさん記録して帰ってください。でも、今目の前にあるのは、最新の、島の状態です。明日どうなるかわからない。世界遺産に登録されたから、なくならないようにこの状態を保つことが求められる、そんなことはありません。まず、現在の技術では完全に建物を保存する方法が残念ながらありません。どうかみなさんの、五感で記憶して帰ってください。」
 
 
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「この壁はこの状態になって6日目です。6日前までは、綺麗なレンガ色でした。この白いのは潮です。雨に流されると一旦リセットされてレンガ色に戻りますがもう6日この状態です。」
 
 
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上の写真に写っているのは、見にくいかもしれないけれども炭坑への入り口となる階段。階段の下には支えとなる柱はなかった。宙ぶらりん。
「あの階段は、今後、メディアに軍艦島が取り上げられる時、一番よく登場するんじゃないかなと思います。炭坑夫さんたちがこの15段の階段を上って、簡単な手すりしかないエレベーターに乗って、高低差約1000m下の炭坑へ作業に向かいます。たった15段ですが、10段目、12段目で、『行きたくないなあ』と思ったこともあったでしょう。でも、家族を支えるために、稼ぐためにいかなければならないのです。15段を上っていって、帰ってきて下る。中には(炭坑へ作業に行ったきり帰ってこられず)下れない人もいました。」
 
「できるだけたくさんの炭坑夫さんのお話を聞いてきたつもりですが、みなさん口を揃えて言う二つのことがあります。一つは、家族のことを思うと炭坑へ行かざるを得なかった、ということ。二つ目は、これから先例えばいつかこの島の建物の自然倒壊がどんどん進んでいっても、この階段だけはずっと残るような気がする。なぜなら、この15段を上り下りした、述べ何十万人もの炭坑夫の執念が、ここには残っている気がするから、ということ。」
 
そして、一番印象に残っている、ガイドさんのお話がこちら。
 
「このツアーをするようになって、実際過去にこの島に住んでおられた方も参加してくださっていることが度々あります。その方たちと、他の観光客の方々との一番の違いは、写真を撮らない、ということです。かつて住んでいた人の中には、人がいて、栄えている頃の島の思い出があります。今のこの姿と彼らの記憶の中の島は違うはずです。世界遺産に登録され全世界共通で通じるであろう『軍艦島』という愛称ですが、島に住んでいた人たちにとってはここは『軍艦島』ではなく『端島』なんです。」
 
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はっとした。生半可な気持ちでここにきたわけじゃないけど、目が覚めた。そして、改めて、ここに来られて良かったと思った。
 
 
長崎に戻って、船を降りて。丁寧に熱心に説明してくださったガイドさんに今一度お礼を言った。
 
「時間」というものは、人間の計り知れないパワーを持つものだと、わたしは思う。自分の知らない時代にどれだけ想いを馳せてみても、それは想像でしかない。それを、少しでも学ばせてくれるのが「遺産」なのだと、今回の体験をもってして改めて感じた。3月に行った広島・原爆資料館もそうだし、長崎でも平和祈念公園で当時の地層を見た。
 
という考え方ができるようになった自分自身の成長を感じた旅でもあったと思う。今の気持ちだけ忘れないように。いつもの覚書。