「知らない」ということ

授業で、アメリカ人大学生を被験者としたとある実験(授業)を行っているビデオを見た。

その内容は、有志で集まった大学生(おそらく30人程度)を、目の色で二つにグループ分けし、茶色い目のグループは優遇され、青い目のグループは劣ったような待遇をうける、といった、差別を疑似体験する授業だ。

エリオット先生の差別体験授業 ~青い目・茶色い目~ (アメリカ2001) - Dailymotion動画

動画のリンクを掲載しておくので興味がある人は見てみてください。結構心が抉られます。

 

アメリカは多人種国家で、白人至上主義が罷り通ってきた。多少は緩和されたとはいえ、現在にもその文化は残っている。

それを身を持って体験してもらおうというのが、この授業の目的だ。白人、黒人といった呼び方は個人的に好きではないので文字を打ちながら多少心苦しいが、説明のためには致し方ない。

白人のグループの学生は、差別を受けた経験がないに等しい。自分が無意識に社会の中で優遇されていることに気付いている人も少ない。それを、その「当たり前」を、「当たり前じゃない」と気づかせるのが、このエリオット先生の授業だ。普段と違う扱いを受けて泣く学生、怒って出ていく学生、都合のいい持論を並べ立てる学生。

彼らはいったい2時間半の授業を通して何を学んだのか。たとえば、黒人は常日頃からこんな待遇であることを学んだとして、それをこれからの生活にどう生かせるのか。同情の念を抱くことができるのか。無意識の蔑みが、憐みに変わっただけではないのか。先生に向かって自分の意見をまくし立てていた学生の、授業後の感想を聞いてもなんだか疑いの目で見てしまった。本当に黒人の痛みが分かったのか?と。

 

映像を見たのちに、自分がその立場にならないとわからないよね~とやんわりした議論を交わした。結論としては全くその通りで、想像してもすべて補うことはできない。

そんななかひとりの友人が、「日本には差別なんてなかなかないから、余計に想像がつかない」と言った。私は小学生のころから、地域に残る人権問題についての授業や、体験学習などを比較的活発に行ってきたので、そんなことはないよ、日本にも差別はあるよ、と、身の回りで実際に起きていた差別のこと、自分が学んだことについて少しだけ話して聞かせた。

 

「知らない」ということは罪、とまでは言わないけれどあまりよろしくないことだと、改めて思った。どうしても、想像力の欠如に直結する(と勝手に思っている)。私自身の立場から言うと、「みんな、義務教育の過程で、なにかしら人権問題に触れて育ってきている」と勝手に思っていた。差別問題を知らない友人がいるなんて「知らなかった」。「知らない」が蔓延していた。それを一つでも埋められたのだから、物事は良い方向に転がった。また一つ、「知る」ことで、想像できる範囲も広がった。

 

さてさて無理やり感はあるけど、ここで先日のBSドキュメンタリーでの二宮くんのインタビューでのお言葉を振り返ってみよう

「自分たちの(判断の)善し悪しがつく前に、戦争はいけないものです。こんなの、二度と起こしてはならない悲劇なんです。って言われたところで、待て待てと。そこから(戦争に)入り込むことを遮断された世代だから、知ろうともしないし、手だてがないし、気力もないんだよね。」

 

普通のヒトなら確かに、戦争はいけない、そんなことわかってます、悪い事です、そこで終わる。二宮くんが言ってるのもきっと、そういう立場からの発言。そういう立場を代表して、たとえの一つとして言っていると思うから、否定するようで申し訳ないが、初めに私が述べた差別の話も、戦争の話も、共通していることは、「苦しみや痛みは当事者じゃないとわからない」ということ。身近に当事者がいる、考える機会がある、それはとても恵まれていたことなんだと知る。

 

 (ここまでの内容は12/7に書きなぐったもの。ここから先、12/14追記。)

12日についに公開を迎えた「母と暮せば」の初日舞台挨拶、朝イチの回に、参加してきた。そこで二宮くんが話していたことが印象深くて、上の内容とちょっと関係があると感じたので

 

難しかったところは?

「だいぶ大雑把になりますけど、『知らない』ということ。それを素直に、言わなきゃならないということ。監督は戦争の時代から生きている人だから、そういう人がいるところでわかんないことをわかんないって言うことはだいぶ勇気がいった。(「知らない」と)言って、教えてもらわないと、間違ったことを伝えることになると思ったから。」

 

「知らない」ということを「知らない」と言える、そして知ろうとする。きっと何においてもそれは大事な姿勢なのだと思う。改めて気づかされた。

舞台挨拶の感想をもっと書きたいけれど、レポとかはまあもうすでにたくさん回ってると思うので私は書かないけれど、それはまた別記事で書きたい。卒論が終わったら。笑

一つだけ今書くとしたら、直接、出演者、監督の声が聴けるあの場に居られたことは、本当に幸せだと思った。制作発表から一年間、ただの一ファンだけれども、自分なりの想いを持って追い続けてきたから。その想いを、着地させることができた。素敵な時間、空間でした。

 

 

しかしまあ、どの話も私の中ではつながってるのでこうして書いてみたけれど、たぶん読んでくれた人からみたらなんのこっちゃだよね。笑

ただの自己満です。お粗末さまでした。