嵐が広げてくれた世界

忘れもしない2013年の3月。

「柴又に草団子食べにいこーぜ!」
と、大学の友人に誘われた。
 
柴又のことをなにも知らなかった当時の自分は、柴又って葛飾柴又の柴又?こち亀の?遠くない?なぜそんなところまで草団子を食べに行かにゃならんのだ。
、、、と異を唱えつつ、遠足がてら行ってみようということになり、4月に入ったらね、と日取りまで決めた。
しかし、当時大学2年生になりたての我々は新歓で1年生を盛大に騙す大仕掛けなドッキリのための準備に追われており、その計画は流れた。それきりその友人から声がかかることもなく、柴又に行くこともなく、今日に至った。
 
あれから2年と約8ヶ月。2015年11月29日。柴又へ行ってきた。まさか、行く日が来るとは思ってなかった。
理由なんて他ならない、「母と暮せば」の山田洋次監督の代表作「男はつらいよ」のゆかりの地であり、ニノちゃんも映画誌のインタビューで寅さんの名前を挙げている、そんな単純なものだ。また、過去にNHKで放送された「未来を生きる君たちへ」という番組で、ニノちゃんは山田監督と、柴又を訪れて対談を行っている。だから言うなれば、ロケ地巡りの延長線上のようなもの。それだけで「行こう」と行動に移せるんだからおたくってとっても単純。
 
 
そんな単純なきっかけだけども、「そんな理由」で世界が広がったことは過去にもいくつもある。遠征もその一つだと思うし、なんなら宮城は最たるものだと思う。被災地にお金を落とす、元気づける(表現が雑でごめんなさい)。いつか行きたい行きたい、と思いつつ行けなかった。結局、きっかけをくれたのは嵐だった。
 
他にどこに行っただろう?と考えたときに、私が近年旅の行先としたところは大体「きっかけが嵐だったもの」か「きっかけは違うけど、嵐にまつわるところ」に二分される。*1
前者は、上記の柴又、宮城に加えて、福岡や札幌への遠征、江の島、千葉、山中湖...。ロケで使われた飲食店や、橋とか神社とかただの道とか、都内だけでも数えきれないくらい行った。
後者は、直島、長崎、松山、長野、名古屋、京都…。地元でも過去にロケがあった場所等を巡った。
たぶん、パッと思い出せないだけできっとまだまだあった、はず。
きっかけは、だいたい嵐。って考えるとちょっと自分に引いてる。けど、世界は確実に広がった。
 
あと、旅ではないけれど、雑誌も「嵐が広げてくれた世界」と呼べるんじゃないかしら。
初めてテレビ誌を手に取ったのが高校2年生の時。表紙の二宮くんに見つめられて目が離せなくって買ってしまった。そこから毎週のように手に取った。
最初はその程度だったけれど、顕著に「世界が広がった」のはプラチナデータの頃。それまでお小遣いの範囲でしか雑誌を買えなかったが、アルバイトによって収入を得て、自由に使えるお金が増え、この時はたしか1万円超を雑誌に費やした。
映画誌がたくさんあること、女性誌も年齢層によって質問や文面が違うこと、また、文芸誌なんてものにも表紙で登場していた。それまでの私の知識が乏しかったと言ってしまえばそれまでだけど、こんな雑誌もあるんだ~世界は広いな~(雑)って感じだった。
 
あと一番驚いたのは、「月刊油脂」。
油脂の雑誌があんの!?!?それに二宮くん出てるの…??? と盛大にハテナが浮かんだけれどよくよく考えたら、そういえば彼は日清オイリオのCMに起用されていた。それ繋がりだ。CMも世界を広げてくれる。
 
 
 
まあ何が言いたいかっていうと、嵐を好きでよかったね!!!!もし嵐好きになってなかったら今以上に根暗な引きこもりだっただろうね!!!よかったね!自分!!!!
ってことです(急にしめくくりが雑)!!!!
 
まだまだ行きたいところがたくさんだよ。おっついてねえよ。東京にいるうちにいくつ巡れるだろうか。時間とお金とよーく相談しよう。そうしよう。
 
 
 
 
 

*1:私の独断と偏見で分類しているので、一緒に行った人が同じ考え、同じ気持ちであるかどうかは知らない。笑