メンデルスゾーンが鳴り止まない(11/26 「母と暮せば」試写会 覚書)

 

ご縁に恵まれまして、映画「母と暮せば」の一般試写会へ行ってきました。

 

ここから先ネタバレオンパレードですんで、そんでもって個人の感想ですんで、それでもバッチコイな方のみお進みくださいませ。また、映画のシーンの順には書いてないです。印象が強かった順、思いついた順です。

 

 

 

 

まず。

映画誌でニノちゃんが話してたこと

「自分が出ている時は、なるべく明るく、楽しく、懐かしくっていうものを念頭におきながら空気を作っていく。その自分とお母さんが話しているところが、楽しければ楽しい程、自分が消えた後の現実っていうものがシビアに映ってくるんじゃないかなぁと。その対比を、激しくというよりは、あまり感じさせないように見せていく。そこを大事にやっていったつもりです。」(プラスアクトより)

「自分が出ている場面が明るければ明るいほど、懐かしければ懐かしいほど、お母さんの置かれた終戦直後の現実がシリアスに色濃く見えるのかなと思っていました。だから、2人の時には厳しい現実が見えないよう、あたたかい空気になるように。監督が毎カット、そういうふうにしてくださったんだと思います。」(日本映画naviより)

これ!!!これ!!!!!!!!!!!!

実際、浩二くんが出てきたシーンは、会場から笑いが起きてた。私も笑ってた。でも、伸子さんと、町子ちゃんが2人で、浩二のこととか話してるシーンでは、涙が流れて流れて仕方なかった。生きてる人たち、残された人たちの想いが交錯するシーンが一番しんどかった。大事な人を亡くした同士の伸子さんと町子ちゃんが幾度となく衝突する。つらいよなあどっちが正解かわからないよなあ。でも、結果的に町子ちゃんはほかの男の人と幸せになる道を選ぶ。

浩二くんの表情が、明るさが、言葉が、現実世界の苦しみ、悲しみを浮き彫りにしていた。まんまと罠にかかった気分。

 

さて、その、町子ちゃんが、婚約者・黒田さんを連れて伸子さんにあいさつに来るシーン。私は映画を見るとき、必ず登場人物に感情移入しながら観てしまう(そのためすぐ泣きがち)。けれども、このシーンは、いったいどの立場で見ていいのか、どうしていいかわからなかった。町子が幸せになってよかったじゃないか。でもこれじゃあ、伸子さんが本当にひとりぼっちになってしまうんじゃないか。そして浩二の想いはどうなるんだ。あきらめるなんて本心じゃないだろうに、あきらめざるを得ない状況だから、どうしようもない事はわかっているけれども。…どこに気持ちを置いていいかわからなかった。したがって、ただひたすら泣いてた。ここが一番泣いた。

 

あと、町子ちゃんが連れてくる、「黒田さん」について。浩二くんのモデルは、詩人であり、23歳で戦死した、竹内浩三さんだという話が、BSドキュメンタリーや、映画誌でたびたび出ていたけれども、黒田さんにも少なからず、浩三さんのエッセンスがあったように思える。メンデルスゾーンを聴いて涙した黒田さん。戦争に行く前に聴いたメンデルスゾーン、生きて帰れないと思っていたから、二度と聴けないと思っていたメンデルスゾーン

浩三さんのエピソードは「出征の日、見送りに来た人を待たせたまま部屋から出てこなかった。チャイコフスキーの「悲愴」を、行く間際まで聴いていた。『もうこんな音楽は絶対聴けないから終楽章まで聴かせてくれ』と。」(BSドキュメンタリーより)

黒田さんは運よく生きて帰れた。実際にそんな兵士もいるわけで。「実在の若者の人生を、浩二に投影した」とあったが、黒田さんもまた、投影されたひとりなのかなと。

 

私の祖父も、命からがら戦争から引き揚げてきたひとりで、片腕を失くしたし、身体から銃弾が出てきた、そんな経験をした人らしい。残念ながら私が生まれるずっと前に亡くなっていたため、詳しいことはよく知らない。本田望結ちゃん演じる民子が、父親の安否を確認しに復員局へ行ったシーン。復員局の職員さんも片腕がなかった。ふと、祖父の話を思い出した。

 また、こんな小さい子が、こんな経験を、思いをしなければならない戦争は、本当に、ただただむごいとしか言えないなあと。改めて涙が出てきた。そりゃあ、今生きている昔のひとが強いわけだよ。

 

映画冒頭、浩二くんが被爆してなくなるシーンまでは白黒映像。原爆投下の照準を定める米軍機の映像はきっと実際のもの?このあと長崎が標的に決まって、原爆が投下されるんだ、浩二くんが死んじゃうんだ、ってわかっていても、「やだ、やめて、見たくない、怖い」という感情が頭の中を駆け巡った。戦争を体験してないのに、植えつけられたイメージと、映像が直結して、怖かった。

 

町子だけ幸せになって、なんで浩二は幸せになれないの?替わってくれればよかったのに、という伸子さんの言葉。親としての本音。また、町子が友人の親に言われた言葉も、どうして自分の子供が死んで、この子は生きているのか、という嫉妬からくるもの。生き残った人たちの苦しみがひしひしと伝わってきた。

 

伸子さんの職業が助産師に設定されたのは、「戦争」「死」と対比的な「生」を扱う職業だからかな。SWITCHに載っていた、絵本作家の森本千絵さんのインタビューを思い出しました。生まれ来る命を抱えながら、死を扱った作品とも向き合う苦しさ。

 

上海のおじさんのキャラが良すぎてよかった。自分で上海のおじさんですって言っちゃうのよかった。笑った。あのひとは映画の中の現在を生きながらも明るくふるまう役回りで。伸子さんも言ってたけどあれくらい厚かましい(いや、伸子さんは厚かましいとは言ってないけれどざっくり要約したら厚かましいって言う表現がしっくりくる)人間が、終戦後の世の中には、いてもいいんじゃないか。あの厚かましさが、周りを救っていたんだと思う。実際にあんな人がいたかどうかは知らないけれども。

 

原爆とか、お兄ちゃんが戦死するシーンとか、爆発の後に、海の映像が指し込まれていたのが印象的だった。

 

冒頭、タイトル字に続いて、「吉永小百合    二宮和也」。並んでる。ここからもう胸熱。感動。

 

エンドロールの最後、井上ひさしさんに感謝を(ちょっと正確に覚えてない悔しい)、の文字でまた溢れ出す涙。

 

 

 

 

 

初見の感想はこんなところかしら。。。作品に対する感想。

ドキュメンタリーを見てから臨んだので、丁寧につくられていて、このシーンにはこんな思いがあって、というのを念頭に置いたうえで見られたのもよかったと思う。

あと、秋に実際に長崎に行けたことも結構大きかった。現在の景色が映画の中に登場することはないけれど、あの街の雰囲気を思い出しながら見られてよかった。

 

 

 

ここからはおたくのフィルターを通した感想とか。

 

 

 

絣に袴、学生帽で登場した浩二くんの年齢不詳感がすさまじい。何歳だよ。。。あと、すすを落とすシーン。ちょっとしたサービスショット?聞いてないよ!←

 

川上先生のことを思い出しながら伸子さんの話を聞く浩二くんの横顔が素敵でした。眉毛ハの字。とっても切ない表情。

 

スパイ容疑で連れて行かれる回想シーン。冒頭の白黒に続いてこちらはセピア色。そんでもって、親子の仲良いシーン。ちゃんぽんのくだり。好き。

 

そして、伸子さんを呼びに来た少年にむかって、ぷう!って頬をふくらますシーンとか、担任のおばさん先生のものまねをするシーンとか、たまらなくかわいい。ラストシーンでもすみれちゃんが、伸子さんとお話ししてたけど、子どもには亡霊の存在がみえてるのかな?上海のおじさんが伸子さんを口説こうとするシーンは浩二くん確実に視界にいたはずなのに見えてなかったよね?あのシーンもかわいかったなあ。父ちゃんに言いつけるぞ!って。(話が脱線)

 

とにもかくにも、「二宮くんが携わる」ということによって、映画を見に来る客層がぐんと広がるのは確かだし、それがひとつの使命であると、インタビューでも言ってたきがする。で、私は、確実に、そのねらいにはまっているひとりである、という自覚もある。山田監督の、素敵な、大事な、作品に呼ばれた、二宮くんを、改めて誇らしく思いました。

そして先日のJaponismで問いかけられた、「今をどう生きる?」が、また心に浮かんできました。平和ボケしてるけど、最近じゃ、テロがどうのこうの、ほんとにオリンピックをやっていいのか、なんて話題もちらほら。平凡すぎる毎日に飽きたなんて贅沢言わないで、むしろ平凡であることに感謝して、日々をすごしていかねばと。

 

現実と向き合って生きていきたいと思います(嗚呼、卒論…)。

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!